「よくわかるキリスト教」って本読んだ
半月ぐらい海外旅行でドイツとイタリア行ってて、博物館なり何なり見たりどうしたりとかして回ってたんですけど、そういう歴史的建造物それ自身だったり、中にある展示物だったりするものって、キリスト教に関係するものがめちゃくちゃ多かった。現代の人は殆どそうなんじゃないかと思いますけど、僕個人は、宗教とかさっぱり興味無くて、はーそういうの信じてるんすかーへ〜〜って感じなんですけど、なんかこんなにもキリストキリストばっかりで、さらに建物とか絵とかめっちゃすごいし、オーマイゴッドそりゃなんでそういうことになってるんだい?って興味があったので、キリスト教入門みたいな本を買ってみた。
まず、僕がこの本を読んで一番知りたいことは、「なんでそんなに神がいるとかどうとか信じられちゃうわけ?いねーじゃん」ってことだったんですが、これは結局この本を読んでも、分からなかった。分からなかったと言うより、「まずは信じるところから始まる」ってことなのかなというのを思った。これを読んだところで別に僕自身はキリスト教信者にはならんけど、ただ、色々と理解が深まった。
まず、キリスト教っていうと、僕にとっては、「あーなんか日曜とかにものみの木だかなんだかを郵便受けに入れていく人でしょ?」ってことなんですが、そもそもキリスト教ってのは、大昔に、階級とか政治的な民衆の弾圧とか、なんかそういう風に虐げられていた人達の間で広まった感じらしい。そういう人らは、抑圧されていて、さっぱり望みが無かった。そんななか、良い行いをして神を信じ、祈れば救われるって言い出したのがキリストっぽい。なので、結構内容としてもカウンターポリティックスっというかなんというか、そんな感じの物も多いみたい。例えばこんなの
右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ
これって、ちょwwおまえどんだけマゾいのwwwって思ってしまうんですが、これはそういう意味ではないとこのこと。当時の人らは、階級とか絶対なんで、もうぶたれたらぶたれるしか無いんですわ。だから、そういう時は、左の頬を出して、ぶてるもんならぶってみな!そんなことには屈しないんだぜ!っていう意味なんだと。
そんなこんなでキリスト教を広めようとしてたキリストは、危険人物だとみなされ、最終的にははりつけにされて死んじゃう(んだけど復活して最終的いは天に上っていったとか何とか)っていうかんじでキリストは死んじゃったのだ。そういうキリストの行いを使徒が広めて行って、新約聖書ってやつを書いて、どんどん広まっていきましたとか。
で、聖書の中には色々と奇跡っぽいことが書かれてるんだけども、これが真実かどうかはなんとも言えないみたい。当時としてはそういう奇跡的なこととかも混ぜて書いて、そういう分かりやすい面からもキリスト教の内容を信じさせるとかもあったとか何とか。
そんなキリスト教だけど、時間が経つにつれ、政治にも使われるようになる。神の申し子としてこの世を治めるよう使わされたのが王様だよとかなんとか、そういうやつ。だから、税金バカスカ使ってものすげー建物も立てちゃう。そんでもって、いや、そーいう解釈は違うねーーー!とか言い出す別の国とかも出てきたりとか。ひどいのは免罪符買えば紙に救われるのですとか言うことまでし出したりとか。そんなこんなで、ヨーロッパには、キリスト教に関するものすごい建物が、当時の権力者や国によってバカスカ立てられているのが今も残っているというわけっぽい。当然、そんな博物館には、歴代のエライ人の絵も一緒に飾ってあったりする。当時は科学とか発達してないわけだし、そんな事言われてものすげー教会とか見せられて、生まれた頃からそう教育されたら信じちゃうよねーとは思いました。
だから、キリスト教と一概に言っても、長い歴史の中で色々と変わってきて、色々な考え方の宗派みたいのがあるのが今のキリスト教っぽいです。自分の中で「キリスト教」という曖昧だったものが少し細かく見れた感じになりました。ただ、ここまで広まっているというのは、色々偶然が重なってそうなったのかもしれないなぁという個人的な感想。
マックス・ウェーバーって人は、資本主義について、「キリスト教の考えだと、熱心にいつも働けば救われるみたいな感じだから、その結果お金がたまり、そのお金は、また誰かが働くために使われる。これが資本主義のはじまりなんだぜ」みたいなことを言いだしたっぽい。てかこれ高校の時習ったんだけど、その時はさっぱり分かってなかった。
そんなこんなで、キリスト教の教えっていうのは、現代の生活の中にもベースとなる部分が色々含まれてるみたいです。例えば日曜が休みなのも、神が6日で世界作って7日目は休んだとかが始まりとか何とからしいし。
キリスト教の教えの内容だけど、確かにそれみんなが守ってたら世界は平和かもなーってのは思う。隣人を愛せよとか、今で言う道徳に当たるものが沢山。というか、今で言う道徳として生活の中に入っていったんだねという感じ。しかし、ずるい人が権力とかのためにそういうのを利用しちゃったりとか、それによって国が栄えたりとかしたり滅びたり、戦争しちゃったり資本主義になって今があったり、まー人間ってそういうものなのかなーとかなんとか思ったり。
キリスト教の、祈りを捧げるっていう行為は、自分の中で心を整理するっていう意味があったのかなって思う。つまり、神を信じることから始まりはするけど、神がいるとかいないとかはどうでもよくて、それを元に色々と行きていくための教典となったもの。これがキリスト教っていうものなのかなって思った。
それと、「信じる」っていう言葉の意味についてもよく理解したつもりになった。よく言われる「Apple信者」とかいう言い方。生活を良くするAppleの製品を信じて購入すれば幸せになれるってやつ。でもこの「信者」って言葉、あながち間違ってもいないのかなーとも。
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